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日本茶道のルーツ?

 1970年頃、上野の図書館(現在の国会図書館)に通っていたとき、何か役に立つ参考書はないかとインデックスのカード1枚1枚気を付けて見てゆくうち、フランス人が書いたものでアラビアの見聞記なるものが目についた。早速貸し出しカードに記入して窓口で待つ。しばらくして係員が「この本は未だ誰も読んでいませんね」と、古いがシャンとした本を出してくれた。よく見るとなるほど誰も見ていないはずで、ペーパーナイフが使われていないまったくのバージンブックであった。

手前中央がイブリクの鍋

 この本は1800年代に書かれたもので、画や写真の類はまったくなかった。コーヒーを作る方法のところに「イブリクという鍋を使用して泡が吹き溢れないように、上方が窄まった構造で柄が付いている。細かく砕いた粉末のコーヒーと水をいれ、火にかけ、泡が吹き溢れそうになったら、火から遠ざけ泡が落ち着いたら再度火にかける。このように煮沸を2・3回くりかえしてからカップに注ぎ分ける」とある。
 ここで疑問が起きた。
 煮沸すると書いてあるが、コーヒーの性質上、温度がさほど上がらなくとも充分に泡が吹き上がる。煮沸するほど温度を上げてはコーヒーが台なしになってしまうものだ。見聞記の筆者は煮沸しているものと錯覚したのかも知れない。ここで気付いたことは、用語の使い方でずいぶん間違った方向に行ってしまうということである。日本では以前、パーコレーターに「コーヒー沸かし」という表示があった。最近、一番気になっているのは「コーヒー挽売コーナー」という看板を店先に出している店が多いということだ。挽いて売ってもらってはまずい。淹てる直前に挽いてもらいたいと説明をしたほうが親切というものだ。
 さて、この見聞記を読んでいるうち、何か日本の茶道に一脈通じる事柄が散見することに気付いた。主なことを抜書きすると以下のとおりになる。(緑字は茶道用語にあてはめてみた場合の言葉)

アラビアではサルタンの屋敷で一番条件のいい神聖な場所に、コーヒーでお客を接待する別棟の立派な建物がある。 <茶室>
主人は、お客の来る前に部屋の中を清め今日のお客に出すコーヒーを厳密に選別して火を起こして待つ。 <炭点前>
建物の部屋の入口は狭く、低く、お客は跪いて中に入る。 <躙口>
お客が席につくには序列があり、主客から順に席につく。最後に座るものも重要人物。 <お詰>
客に提供する食物にはナツメヤシの実が使われ、順に取りながら配られる。 <お菓子>
主人が淹てたコーヒーは、最低三順廻るのが礼儀になっている。 <濃茶の場合>

 大体以上の事柄であるが、アラビアにおけるコーヒー・セレモニー(儀式)の中に日本の茶の湯の中でみる茶室・亭主役・炭点前・正客・お詰・躙口・お菓子等があることになる。
 日本の茶道を確立したのは、泉州堺の会合衆の1人であった千利休と聞き及んでいるが、当時の堺港は南蛮との交易が盛んだったから、彼は南蛮人のキャプテンあたりから、アラビアのコーヒー儀式についての知識を聞き、これを巧みに導入して茶の湯にアレンジし日本の茶道を当時の社会に尤もらしく広めていったのだろうと察する。
 回教圏のコーヒー・セレモニーでは珈琲の粉をそのまま喫み、日本の茶道(抹茶)では茶葉の粉をそのまま喫むということでは形式は同じである。