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舌で味わう

 私の店にはいろいろなお客さんが来る。自分で珈琲豆を焙煎しているという人も珍しくはない。
 もう数年前になるが、ある地方都市で自家焙煎をしているという人が来られたときのこと。
 話をしていてびっくりするくらい実によく知っている。生豆の水分含有率が何%で、それを焙煎にかけて何%の水蒸気を飛ばすとどうなるこうなるとか、沢山のデータを知っていた。ご本人が言うにはいろいろな本を読んで勉強したそうだ。ところが、「本に書いてあった通りにやってみるのですが、一向にうまくならない。焙煎じゃなくてコーヒーが美味くならないのです。」と言う。
 この方も含めてみんな頭でっかちになりすぎなのではないかと、私はつくづく思った。焙煎に関しては私なんかよりよほど詳しくて考え方も科学的なのだが、いざ焙煎してみるととんでもない代物ができてしまうと言う。
 私はみんなコーヒーを目で飲み、耳で飲んでいるのだと気付いた。コーヒーを自分の舌で飲んでいないのだ。知識ばっかり詰め込んで頭の中が一杯に、情報過多になっている。私はそういった知識を馬鹿にするつもりはないが、それらはあくまで知識であって、味づくり、つまり知識への肉付けは自分でやるものだ。焙煎のノウハウ本を読めば誰がやっても簡単にコーヒーが焙煎できるような便利な本があれば焙煎初心者は大助かりなのだろうが、私なら読まない。何故ならその本のとおりに焙煎して、本当に美味しいコーヒーができたとしてもそれは自分の作ったコーヒーとは言えないからだ。

 私は長い間自分のコーヒーを作ってきた。誰にも相談せず、本も読まずに、自分が美味いと思うコーヒーをひたすら作ってきた。もっともランブルを始めた頃には今のような専門誌や便利本など無かった時代だが。
 こうして半世紀以上も喫茶店として商売が成り立っているのは、たまたま私の作ったコーヒーの味を好んでくれるお客様がいただけで、単なる需要と供給の関係。ランブルのコーヒーはパーソナルコーヒーなのだ。
 万人の舌に合うコーヒーなどない。そんなものを目指しても無理な話で、信じられるのは自分の舌だけだ。その自分の味覚が信じられなかったらコーヒー屋なんてやらない方がいい。
 これも私の持論だが、焙煎技術はコーヒーの生豆さえ良ければ必要ないと思う。焙煎が下手でも、抽出がいい加減でも材料さえよければそこそこ美味いコーヒーはできるものだ。焙煎がどうだこうだと技術論がかまびすしいのは、元を辿れば材料が粗悪だからで材料さえよければそんなものはいらないと思う。